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Over the Rainbow

2007-10-02

天理合宿 2007

◆天理合宿◆ ブログより                k☆bros8期 前垣小百合

私にとって今回は二度目の参加。
昨年よりも、自分の身にひきつけて考えてみた天理の祈り。
天理の祈りと私の祈りは、決定的に異なっていた。

天理の祈りと私の祈り

私が真剣に祈るのは、自分ではどうにもならない事をなんとか叶えて欲しいから。
お正月も「今年も良い一年になりますように」
ほかにも、家族の病気を治して下さいとか、受験がうまくいきますようにとか、二日酔いがものすごく辛くてもう一生お酒飲まないから、楽にさせて下さいとか。
私の祈りは自分のことばかり。自分勝手な祈りばかりだ。

それに対して、天理の祈りは、自らのホコリを落とすため。
欲とか勝手な心を直すことは人間の力ではなかなか出来ないから、祈る。
祈ることによってその欲を落としていくのだというお話を伺った。

同じ言葉でも、こんなにも目的が違うものかと驚いた。


また、少し違和感も覚えた。
中山みき様の生涯を紹介するビデオを今年も見たけれど、多くの人が天理教を認め始めたきっかけは、「目が治った」とか、「胸の病いが治った」とか、そういう類の事だったと思う。
それって、みんな初めは、すごく「求めていた」んじゃないのかなぁと。
私の祈りに近いものが最初はあったのではないかと思う。
それがいつのまに、天理の祈りへとシフトチェンジして行ったのだろう。


天理に限らず、宗教を信じ始めるきっかけは、割と私の祈りに近いものを持っている人が多いように感じる。(二世、三世については除くが)
何か大きな悩みがあって、それが何者か大きな力によって動いた時、その者を深く信じるようになる流れが多いのではないかと。
それから絶対的な信頼を得たその者が、新しい教えを説いていくのかなぁ。

2007-04-01

信頼

樫尾先生、お誕生日おめでとうございます:heart::**:

今日は、家の前の桜も、筆記試験で行った明治大学の桜も、銀座の桜も、咲き乱れていました。

朝はちょっと寒かったけど、昼間はぽかぽかして、太陽があったかくて、本当に気持ちがよかった。

こんな素敵な春の日に、先生は生まれたんですね:**:


私は真夏に生まれた子で、
病院に冷房がなくて、死ぬかと思ったわよー
と母親によく言われていたのですが、先生のお母さんはきっとすこやかな気持ちで先生を産んだのでしょう:heart:


私たち8期が入ってからのゼミ1年間はいかがでしたか


突然ですが、私は先生に出会えて本当によかったと心から思っています。

親以外に、こんなに信頼できる大人に出会えたのはすごく、幸せなことだと思うからです。

ゼミで、飲み会で・・ 先生とお話させていただくと、元気が出ます。

真剣に向き合ってくれているのが伝わってくるから、すごく心があたたかくなります。

本当に、たくさんお世話になりました。

これからも、どうぞよろしくお願いします。











2006-12-23

やさしいきもち

ゼミのみんな、本当にありがとう。
火曜日、みんなに会いに学校に行って本当によかった。
落ち込んでたけど、みんなにいっぱい励ましたもらえて、元気にならないと申し訳ないと思いました。
みんなの優しさが心にしみて、本当に本当に、あったかかった。
こんなに心からまっすぐに感謝する気持ちは初めてかもしれない。
それくらい、本当に嬉しかった。
ありがとう、みんな。
元気でたよ。

2006-12-16

サヨナライツカ

サヨナライツカ

いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい
愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある
どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない
愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ

サヨナライツカ

永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない
いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとにわかれる

私はきっと愛したことを思い出す

              (辻仁成 『サヨナライツカ』)




孤独を感じる。
人間はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいくということを実感する。
全ての人と、生き物とモノと、いつかサヨナラしなければならない。
いつかサヨナラするなんて… 今まわりにある全てのものが愛おしく思えてくる。


大切な友達がもうすぐ留学する。
友達のことを思うと、とても嬉しくて応援したい気持ちがいっぱいあるけど、
本当のことを言うと、けっこうさびしい。
だけど今、しばらく会えなくなることが実感できているから、そのコと過ごす時間を前よりもずっと、とても大切に思っている。

そのコに限らず、みんなとのサヨナラがいつかやってくる。
昨日大好きな人とのサヨナラが突然、私にもやってきた。
永遠なんて何もない。
それを意識して日々過ごすことができたら、
すべてをもっと大切に感じながら生きられるのだろう。


上の詩にもあるように、
愛する人に愛されたとしても、その愛が永遠だなんて思わない方がいい。
それは必ずしも消極的なことじゃなくて
愛が永遠だなんて思ったら、その大切さやかけがえのなさを忘れちゃうから、いつか失うと思うからこそ今を積極的に生きられるはず。
永遠じゃないからこそ、今あるものを大切に思うことができるんだ。

愛する人とのサヨナラがいつかやってきたら、当然悲しいけど
すがすがしい涙が流せたらいいと思う。
その悲しさとだって、いつかサヨナラがやってくる。
その間に十分、愛したことを思い出していようと思います。



2006-12-10

いのちのつながり

今日は、入ゼミ選考と、ガイアシンフォニー上映会と、飲み会、というゼミ尽くしの一日でした〜:-D

たくさん学びがあった:!!:

入ゼミ選考では、就活で面接を受けてる自分が面接官の目にどう映っているのか、また、面接官は何を考えてるのかなどを知る良いきっかけになった。

実際に相手の立場に立ってみないと、相手のほんとの気持ちってなかなか理解できないことだ。
人の気持ちを理解できないということは、とても利己的になっていて、相手にやさしくあれなかったり、また、自分自身もたくさんの損をしているのだと思った。
辛い経験をしたり、単純にとしを重ねて経験が増えることで、色々な場面で人の気持ちが理解できるようになっていくのだと思う。
だから経験はとても大切だけれど、ひとつひとつ全部を経験するのなんて難しい。
だけど私たちは、相手の立場にたったつもりで人の気持ちを考えるということができるはず。
頭は、そういうところでフルにつかっていきたい。







2006-11-30

お母さんとお兄ちゃんへ

お母さん、お兄ちゃん。
本当にごめんね。
もしも、また会えるとしたら
本当に謝りたい。
今度は二人が苦しいときに
ちゃんと向き合って一緒に苦しんであげたいと思ってるよ。

お母さん。
誰よりもお母さんこだった私が、お母さんと会えなくなってもう2年半以上も経つなんて。
お母さんに話したいこと、ほんとにいっぱいあるよ。大学のこと、バイトのこと、サークルのこと、ゼミのこと、恋愛のこと…
慶應に受かったことも伝えられなかったもんね。
いつか死んだら、お母さんに会えると信じています。
そしたら私の話いっぱい聞いてね。
その時まで、18歳からの記憶を忘れないように生きていくのは大変だよもう。
お母さんが聞いてて嬉しくなるような、楽しくなるような人生を生きるからね。
また会えるその日まで、精一杯に暮らせるといいな。

お兄ちゃん。
いつかすっごいケンカした時から、なんだかずっと普通に付き合えなかったよね。
結局さいごまで、小さい頃のように仲良くなれず、おわってしまった。たったひとりの兄弟だったのに。
いつもわがままで、イヤなおもいもいっぱいさせてしまった。
いつも自分勝手で、勝手にイライラして、もうほんとにばかげたことをしてたなぁ。
あーおにいちゃんにはまだなんかうまく気持ちを伝えられないや。
また、こうやってメッセージ書くよ。
もしももしも読んでてくれたらねーすばらしい!


おもえば私にとっては お母さんの死 が世界で一番こわいものだったと思う。
でも、世界で一番こわいものを早々経験してしまった。
しかも、まだまだ若いお兄ちゃんまで失って。
もうね、こわいものなんて何もないよ。
すごいでしょ?笑
お父さんともずいぶんと仲良くなったよ。
ムクも前より、お父さんとすごくなかよしになったと思う笑
お母さんとお兄ちゃんが死んでしまったことは、お母さんとお兄ちゃんがいなくなった ということだけじゃなくて、そういう「なくなる」「失う」系の事柄だけじゃなくて、新しく生んだこともたくさんあるんだよ。少なくとも、私は前より強くなった。どんなことでも受け入れられるということを知った。ここぞという時に歯をくいしばれる自信を持った。人間は意外に強いんだということを知った。
そんな感じ。

それからどうですかー?おふたりは。
しあわせですか?

2006-11-29

子供め。

今、遊びしか能のないくそガキと言われている、人望のあつい22歳の日記を読んでたんだけど


くそ面白い

やばい


子供のこころを持ってるって、何にもかえがたいこと
すごいなー



すっごいおもうんだよー
旅行に行くにも何をするにも
どこに行くか、何をするか
じゃなくて
誰と旅行に行くか、誰と何をするか
の方がはるかに大事 私にとって


「この人といるとなんでもないことがおもしろくなる」


ってすっごすっごすっごいステキじゃない??:**::**::**:



相撲

前1回、見に行った

正直、全っっ然興味なかった  けど

 一緒に行った人たちがほんと無邪気で子供みたいにはしゃいで積極的に楽しもうとする人たち、とにかくすっごい一緒にいて楽しい人たちだったから


いまや だいの相撲好き☆


相撲の研究たのしそうだねw 



どんなにつまらないことも心底たのしめる自分になりたいなー
人生つまらないことなんて何もないんだ

2006-11-25

元カレ

ふと思い出した。
高校時代ずっと付き合っていた元カレ。

あの頃はあんなに重大な存在だったのに、
今となっては彼のことをひと時も考えない日がずっと続くようになった。

必死にしたケンカ

不安や悩み

彼に裏切られて、死ぬほど傷ついたことさえも

今となっては「そんなこともあったなぁ」って、笑って話せるようになった。


今悲しいことや不安なことも、
いつか、笑って話せる時がきっと来ると思う。

そうだとしたら、
毎日のいろんなことに、いちいち過剰に怒ったり落ち込んだり心配したりするのは、なんだかあまり意味のないことに思えた。

もう、つまらないことにエネルギーを使うのはやめよう。


今できることを精一杯やったら、あとは祈るだけ。
悪いこと全部忘れて毎日を楽しく生きるようにしたい。

人生は取り返しのつかない一瞬一瞬の連続なのだから。

2006-10-02

天理合宿 二日目

朝のおつとめ

4時半起床。外はまだ薄暗い中、バスで神殿へ向かう。バスから降り、神殿を前にすると、そこには、一様の法被を来た沢山の人々が神殿に吸い込まれていくように集まる光景が目に入ってきた。こんなに朝早くから、こんなに沢山の人々が神殿に集まってくるなんて、信者の天理教への愛は本当に深いのだということを身にしみて感じた。

神殿の中に入ると、昨日よりも沢山の人がすでにいて、またさらにどんどんと中に入ってくる…信者なわけでもないのに幅とって一人前に座っててすいませんという感じだった。信者の皆さんは礼拝場に入ってくると、正座して、かんろだいに向かって礼拝をし始める。あたりで盛んに聞こえる手を叩く音に圧倒されながらも、もうすぐ始まる全体での礼拝に期待を膨らませてその場に身を落ち着かせていた。

そして始まった礼拝。聞こえてくるみかぐらうたをあたり一面で行われているてをどり。何もかもはじめてでその壮大さに圧倒された。私たちもみようみまねでてをどりをしてみる。そのときはただ真似しているだけで必死だったけれど、その晩、先生にそのてをどりとみかぐらうたの歌詞とが非常にわかり易く対応していることを教えてもらう。そのとき初めててをどりの意味を理解することができた。
その後、教祖殿でおてふりの練習があった。難しいから座って見てなさいということだったけど、さっきのてをどりをやったのがとても楽しかったので、「一緒に練習してみたい!」なんて思ったのも、おてふりの練習が始まってすぐに挫折した(笑)初めての私には到底できるはずもない難しい動きをされていて、私はただただ圧倒されていた。ただ座って見ている私たちのことを信者の方々はどう思っているのか非常に気になった。

そのあと天理大学の学生たちと外で一緒に「八つのほこり」などを読み上げました。天理大学の学生たちは非常に快活としていて、朝から元気におなかから声をだして、感謝の気持ちや日々の気づきを意識していて、なんて充実した日々を送っているのだろうと感じた。天理の教えを読み上げることも大事だが、こうして毎日感謝の気持ちを言葉に出してみたり、日々の気づきなどをアウトプットする場があるということがとても意味のあるものではないか、と感じた。

天理大学での岡田先生との質疑応答では、私たちのあらゆる方面からの疑問に非常に広く答えてくださった。私が特に感銘を受けたのは、「にをいがけ」のお話のときに先生がおっしゃっていた、
「いいにをいのするところには人が寄ってくる。だから、宣伝に力を注ぐよりも、まず自分を磨くことだ。」
という言葉。
確かにそのとおり、私の生活にもぜひ取り入れさせていただきたい言葉であった。
いいにおいがするということを広めたい、と思い、宣伝活動を始めたら、宣伝にばかり力を注いでしまい、肝心な自分を磨くことを怠ってしまう、というのはよくある話である。
天理は「受身」と言えるかもしれないが、そのような姿勢のおかげで、今のような心あたたかく広い宗教であるのかもしれない。
私の抱く宗教に対する恐怖心のひとつは、過度の宣伝活動でもある。そのあたりを丸く考えている天理に対して、ひとつの安心感を覚えた。


それからソフトボール☆
めちゃめちゃ楽しかった:hahaha:
男性陣の優しさを感じたりもした(笑)
とってもいい思い出♪またゼミでやりたい♪♪
そのあとの銭湯もよかったー♪
昔ながらの銭湯っていい!
運動した後の銭湯は最高♪♪

一休での飲み会もいろいろなお話ができて、とても価値あるものになった☆
とても中身の濃い一日だった!







2006-09-16

天理合宿 初日

たった2時間ちょいの新幹線でたどり着いた天理は、東京とはまったく違う空気が流れていた。

「ようこそおかえり」

初めて訪れた土地なのに…おかえりって!!:[]
あたたかさを感じた:oops:

同じ「初めての土地を訪れる」でも、
急ぎ足で歩く人の波についていけずにドンッって突き飛ばされてギロッって睨まれて、す、すいませんっって言ってオドオドキョロキョロするような、初めて東京を訪れるときのイメージとは全く違う!と思った(笑)

私の住んでる街、鎌倉は観光地だから、ようこそ〜的な部分はあるけど、それはあくまで鎌倉を訪れてくれる観光客のみなさんに対して言ってるに過ぎない。

天理は、私たちみーーんなに対して、ようこそおかえりになられましたって言ってるんだよね。私たちが生まれた聖地にようこそ戻ってこられましたって。

いきなり、
「ここがあなたの生まれた所なのよ。おかえりなさい:heart:
って言われたら、びっくりするけど、なんか…なんか…あったかいなぁ:-D


それから、商店街を歩く。
おだやかな普通の商店街だけど、時々目にする宗教的なお店や看板に、この地が宗教都市であることを再認識する。

ふらりと立ち寄った宗教的なものを取り扱ってるお店では、私たちにとって珍しいものがたくさんあった。後に礼拝の場面や神殿でそれらが使われている様子を見たときには、あーあれ商店街で売ってたーという具合に嬉しくなったりもした(笑)

そして訪れた神殿、教祖殿、祖霊殿。
その立派さ、荘厳さにびっくり。
中に入ってみると、どこもかしこもピカピカに掃除されていた。
おぢばを囲んだ広い畳張りの空間は、腰を下ろすとなんとも言えぬ安心感、初めて訪れた場所なのにすごく落ち着く感覚を覚えた。
あちこちで目にする「おてふり」には少し違和感を感じたが、このままこの地に住みつくのもいいかもしれない…と思うくらい、その空間は私を心地よく迎え入れてくれた。
教祖殿で礼拝をしている時、ちょうど午後2時を迎えた。
先生のお話によると、天理では2時になると街中にいても授業中でもどんなときでも、教祖に向かって礼拝するという。信者たちの信仰の熱心さにまたまた驚かされた。

その後、天理参考館での見学をした。中の展示は、とってもわかりやすく、楽しく説明してくださっていたため、ここでもってようやく天理教がどういうものなのか理解を深まってきたような気がする。特に、教祖中山みき様の生涯を描いたビデオがとても分かり易かった。きっと事実とは異なる部分や、脚色されている部分もあるのだろうけど(そんなことなかったらごめんなさい)、天理信者の方たちの描いている中山みき様像がとてもよく分かった気がしたから。彼らの尊敬している方の姿を認識できたことはとても有意義なことだと思う。

夜はつぼ八で岡田先生を交えて飲み会☆