2007-06-19

卒論停滞→卒論思案

そろそろ卒論のために文献を読んだり、サーベイを始めようと思いつつも―――進まない…。
やばいな。
バイトも始まったというのに。

現在悩んでいること。
・コミックスのサーベイから始めるべきか、作者のインタビュー記事のサーベイから始めるべきか…。
T君のやり方を見ると、先に少しだけコミックスのサーベイをして、こんな感じな傾向がありそうです、って示した方がいい気もする。
しかしインタビュー記事は大事にしたい。

そういえば、この前図書館のオパックで調べたら、インタビュー記事に『アニメージュ』とかあった。
そうか、そうですよ。
『アニメージュ』のような雑誌にも記事がありますね。
ていうか特集とか組まれてますね。
調べなくてはいけませんね。
図書館で借りるが恥ずかしくてしかたありませんね。
まあそもそも研究内容が少々恥ずかしいので、いまさら何を、ってかんじですけど。
あと、『ぱふ』とかもあるよなあ。

うーん意外と調査すべき量が多いのかもしれない。
うん、先にコミックスのサーベイを試しにやった方がよさそうだ。

まあその前に先行研究の読み込みが足りないからうやらないと。
でも難しくてうまく理解できてなかったり…。
伊藤剛よりも先に大塚英志をやって、理論よりも方法論を先にやろうかな。
邪道ではあるけれど。

2007-05-04

卒論夢想

どうも上ばかり見ていた気がする。
そう考え出したの春休みの中ごろだけど、やっぱりそう思う。
もっと地に足をつけ、自分の裁量について考えることも大事だと感じる。
オリジナルにこだわりすぎてた。
こだわってもいいけど、それに見合う勉強をしてこなかった。
分不相応だ。

というわけで、人の続きというか人がやろうとしてるけどやってないことをやろうかと思う。
具体的には、少女マンガだ。
セリフだ。
夏目も宮本も伊藤も、少女マンガとセリフに注目してるけど手をつけてない。
大塚は手をつけてるけど、古いし、印象的に感じる。
だから大塚が考えてる内容を調査しようと思う。
分析して理論化できるかどうかはわからないけど、とりあえず、データとして価値あるものになればいいな。

2007-04-01

誕生日おめでとうございます。

樫尾先生、誕生日おめでとうございます。
 先生にはいつもお世話になってばかりで、本当に頭があがりません。いつもありがとうございます。
 みんなからは「成長した成長した」などといわれますが、もっと成長できるのではないだろうかとも思っています。これからも先生のもとでがんばっていきますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

2006-11-08

かつての自分

最近のサブゼミで感じることがある。特に今日少し議論したところ、実感した。

サブゼミの作業は難航している。というようり迷航かもしれない。そんななか、なぜ自分はこうもがんばっている、もしくはがんばろうとしているのだろうか、と考える。それは恐らく、サブゼミの名の通り、サブゼミを通して、他のゼミ員に論文を書くということ、ひいては書くことの楽しさを学んで欲しいと考えているのだ、と思い至った。ある人は、不必要な人員は切り捨てていけと言う。しかし私はそれにひどく抵抗感を覚えた。確かに自らの目的が論文を書くというのであれば、正にそれが有効な手段なのだろう。だが私はサブゼミとは、本ゼミでは学べないこと、本ゼミのために学ぶべきことを学ぶ場であると考える。したがって仲間である人間とともに楽しみ、成長したい、そう考える。そしてこの考えに至っている今、かつての自分を思い出す。

中学三年のとき、まさにこれと似たような考えのもと、生きていた。いかにして他人を巻き込むか、いかにして自分の楽しみを他人と分かち合えるか、いつも苦心していた。そしていつも諦めが待っていた。

私はここで成長していないとは考えない。自分の根本なのだと考える。自分らしいと感じるし、この自分を好きだからだ。大学に入って、中学時代と今の違いについて思うところがたくさんあった。でもこうして同じところを確認できる。同じ、ではいけないかもしれない。今は、問題の最中にいる。今の自分はかつてよりずっと頭を悩ませている。そして人との距離感は明らかに縮まっていると思うし、英断もできるようになってきている。ここで、がんばってみたいと思う。

アジアのシャーマン

正直なところ、実感が湧かない、というのが感想だ。ビデオの中の人々にとってシャーマンは日常的であり、何と言っても必要不可欠なものに映った。日本という恵まれた国で育ち、まだ二十余年しか生きていない私にとっては、非日常的であり、必要性をまったく感じない存在だ。こう言ってしまうと問題かもしれないが、ラジニーシなどのほうが理解しやすいと感じられる。このこと自体が問題の一原因であるが…。ともかくも、実感が湧かなかった。確かにシャーマンによって救われている人々いるのは、しかと理解できた。そしてそれを受け入れて生活をしている人々がいることも理解できた。だがやはり実感が湧かない。別にシャーマンの行動がトリックだとか、科学的に実証されないとかいったことを考えているわけではない。というかそもそもそういった考えは意味を成さない。あるべきものとして理解はできるが、しっくりとこない。ここはたいへん難しく、デリケートな部分なのだろう。

2006-09-25

奈良って遠い

奈良にいったのは前の書き込みでわかるかもしれないけど、とにかく行ってきました。行きは夜行バスです。帰りは?というと、鈍行。JRを使ってひたすら各駅停車。夜だったし、急行とかは皆無。まあ六時間もあれば家に着くだろうと考えていたが、甘かった。
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天理行ってきました。

天理市に行ってきました。3日間という短い間でしたが、とても貴重な体験になりました。 [Read More!]

日韓共同セミナー論文:注と参考文献


注1  1978年生まれ.1998年に歌手としてデビュー.エイベックス・エンタテイメント所属.1998年の3rdシングル『Trust』でオリコンチャートに初のTOP10入りを果たす.後のシングルはすべてオリコンチャート一位を記録している.2001-2-3年のレコード大賞をはじめ多くの賞を受賞している.彼女はすべての曲で作詞をしている.2000年ごろから,彼女のネイルアートや大きなサングラス,またヒョウ柄などのファッションが女子高生を中心に大きな流行を巻き起こした.
注2  1988年結成.1989年Mr.Childrenに改名.通称はミスチル.1992年デビュー.メンバーは,ボーカル,ギターの桜井和寿,ギターの田原健一,ベースの中川敬輔,ドラムでリーダーの鈴木英哉によって構成されている.作詞作曲はほぼボーカルの桜井が担当.1993年の『CROSS ROAD』で初のオリコンチャートTOP10入りを果たす.後のシングルはすべてオリコンチャート一位を記録している.
注3  1742年の御定書百カ条にて,心中者の弔いを禁じ,一方だけが死んだ場合,生き残ったもう片方は殺人犯とし,双方生存の三日間日本橋のかたわらに晒したうえ非人の手下にする,と定められた.武士の場合はお家断絶.
注4  初出:1890,『國民之友』.現代文の高校教科書に収録.あらすじは以下の通り,ベルリン留学中の若いエリートである太田富太郎は,街で薄幸の踊り子エリスの危機を救い,その後愛し合うようになる.いったんは栄誉を捨て,エリスとの愛を貫こうとするが,結局は愛よりも日本での出世を選び,帰国する.
注5  初出:1914,『朝日新聞』.現代文の高校教科書に収録.あらすじは以下の通り,「私」は鎌倉の海で出会った「先生」に強く惹かれる.「先生」はやがて自殺し,「私」のもとに遺書が届く.そこには恋人を得るために友人を裏切り,自殺に追い込んだ過去が記されており,「先生」が語らなかった過去が明らかにされていく.
注6  江戸時代の元禄14年(西暦1701年)に赤穂藩藩主の浅野長矩が江戸城の松の廊下にて吉良上野介こと吉良義央に対して抜刀する事件が起こった.江戸城にて抜刀することは重罪であり,当然,浅野長矩は切腹とお家取り潰しの裁きを受ける.江戸時代では「喧嘩両成敗」というように,諍いがあれば,非の所存に関わらず,両者が裁かれた.しかし吉良義央は無罪だった.この裁きによる浅野長矩の無念を晴らすために,彼の家臣である赤穂浪士の四十七人は翌年の12月に吉良邸へ仇討ちをかける.無事仇討ちを果たすも,この事件に対し幕府は彼らに切腹を命じ,彼らは死して幕を閉じる.

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日韓共同セミナー論文3

3-1.《人間関係の変容》
これまで,恋愛の人間関係を社会モデルとの関係から理論だててきた.そこで見られたのは,義理に代表される集団が個人をきつく包括する社会から,個人が集団と切り離されていく社会への変遷である.以下では,この変容した人間関係の表れを現在の日本で消費されている恋愛によって見ていきたい.

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日韓共同セミナー論文2

2-1.《社会モデルとしての人間関係》
 人間関係の基礎である,三要素はそのまとまりの小ささから順に並べると,心理関係,コミュニケーション関係,組織関係となる.また大小だけでなく,それぞれが包括関係をもっている.心理関係はコミュニケーション関係に包括されるし,コミュニケーション関係は組織関係に包括される,心理関係を中心にした同心円状の関係がある.単純化すれば個人,対人関係,集団となるだろうか.さて,恋愛をこの中に組み込むとどこに位置するのだろうか.先に述べたように,恋愛関係は最小の組織であるから,組織関係がもっとも小さい集団である.逆に恋愛の源である「好き」や「恋慕」はそのまま心理である.また一対一である関係はコミュニケーション関係と直結する.したがって,恋愛は心理関係とコミュニケーション関係の間に落ち着くことになる.しかしだからといって恋愛の関係が二人だけの関係ではなく,外側との関係を持っている.アダムとイブの楽園でさえ,蛇の言葉という外的要因によって関係が崩されている.日本において恋愛の外的障害として長く描かれてきたのは義理である.
 江戸時代に流行った娯楽といえば,歌舞伎や浄瑠璃などの演目である.その中でも人気を博したのが,当時の出来事を演目にした〈世話物〉と呼ばれるジャンルで,その中でも『曽根崎心中』といった恋愛と義理を核にした物語が好まれた.しかし幕府はこの心中物語の上演を禁じ,実際の心中も厳しく罰せられた(注6).これは心中が幕府の統治概念を大きく揺るがす可能性をはらんでいたことに起因する.江戸幕府はその統治体制を維持するために儒教の朱子学を,それもあるていど自分たちに都合のいいように輸入をして,国学とし,普及させた.かのルース・ベネディクトは『菊と刀』で,中国の儒教で第一の徳は「仁」であるが,日本人はこれを「倫理体系の外に追放」して,代わりに「忠」と「孝」を第一義の徳として,無条件に従うべき「義務」としたことを述べている.(ベネディクト 1946=1974:66-69).江戸幕府はこの「忠」と「孝」の概念をもって為政者としての権威を保った.〈士農工商〉という身分制度はその実践のひとつである.恋愛による心中はこの「忠」と「孝」に対する義理を通すことができない場合に起こる.女郎などの〈士農工商〉というカタギの身分制度に含まれない人との恋が多くの場合であり,これは社会的に許されない不義理の行為であった.不義理の行為は幕府の統治体制を支える重要概念である「忠」と「孝」に背く行為であり,これが流行るということは幕府にとって由々しき問題だった.またその由々しさは,心中が死をもって義理に報いるところからも窺える.
 幕府による統治は終わったが,義理による統治は終わらない.ただ「忠」の捧げる相手が将軍から天皇に代わったに過ぎない.人々は義理を相変わらず,最上の徳として位置付けていた.そのため,明治になっても「義理」と恋愛のジレンマストーリーは綿々と続いた.森鴎外の『舞姫』(注7)や夏目漱石の『こころ』(注8)といった明治の文豪の作品は,これが核となっている小説である.
 恋愛は心理関係に近いながらも,社会的義務としての義理という外的要因とつながっており,恋愛関係もまた組織関係の中に埋もれている.ゆえに恋愛について語るにもこの組織関係を無視することはできない.そのため以下で義理について触れてから,恋愛について論じていきたい.
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日韓共同セミナー論文1

社会モデルから探る日本人の人間関係
――浜崎あゆみとMr.Childrenの恋愛歌にみる恋愛の諸相                         慶應義塾大学文学部社会学専攻樫尾研究会

1-1.《はじめに》
 日本語の〈人間〉(英語で言うところのhuman being)という単語は,もともと「じんかん」と読み,その文字通り「人と人との間」を意味していた漢語である.また現在では〈人間〉を「じんかん」と読むとそれは〈社会〉を意味する.この度のテーマである「人間関係の構造」を理解することは,人と人とのつながりを理解するだけでなく,人間社会をも理解し,ひいては文化や国民性をも理解するものであると言ってよい.そこで我々は日韓の相互理解を深めるために,まず自らの人間関係,すなわち「日本人の人間関係」を研究・理解し,ここで明示していきたい.社会心理学者の南博は人間関係についてこう定義している.

  人間関係は,人と人が,共通の認知と共通の理解をもつための交信を通じて結ばれる“コミュニケーション関係”を出発点とする.
  第二に,社会集団のメンバーである人と人との間には,個人ごとの役割と地位がきめられ,一定の組織に,各人が組みこまれている.この関係を“組織関係”とよぼう.
  そうして,第三にコミュニケーション関係と組織関係のネットワークの中で生きる人たちの,心理的な交流のありかたを,“心理関係”と名づける.
  このように,人間関係は,コミュニケーション関係,組織関係,心理関係の三つが,たがいにからみあい,そこに〈社会集団〉が成立する.社会集団の最も大規模なのは,全体社会であり,ここでとりあげるも,日本という全体社会にふくまれる,さまざまな人間関係である.(南 1980:1-2).

これに倣い,ここでの人間関係とはコミュニケーション関係と組織関係と心理関係を基にするものとする.
 今回,この人間関係について恋愛をもって考えたい.恋愛は,基本的には一対一の濃密な人間関係を築くものであり,したがって,最小の組織であり,ミクロな社会学といえる.また,谷本奈穂(1998)は「恋愛とは,他者を求める人間の常なる欲動を基本に持つのであり,人と人を関係付ける要素のひとつである」と言っている.(谷本 1998:286).恋愛は現代日本において,普遍性を持っている.明治期に啓蒙思想として輸入された「恋愛」の概念は,恋愛に対する強迫観念とまで言えるような価値を生み出した.ドラマ,映画,小説,J-POPなど種々の主題としてロマンス・ラブが描かれ,恋愛が定着しているさまを窺える.もはや制度・慣習化したものとまで言える.恋愛は今回の主題である「日本人の人間関係」の一側面を表しており,これを探ることは,この主題を考える上で有効と言える.また谷本は恋愛が研究対象として魅力的であり,人々の「生活に深く関わりながら」,「社会学の対象として大きく採り上げられてこなかった」ことを指摘しており,恋愛によって社会の一側面を論じることができれば,恋愛という人間関係が社会学的に価値があると証明することにもなるだろう.(谷本 同上).
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2006-08-19

さすが維新だ

「アナザーホリック」読了。見事なオマージュにしてパロディ。そして自分らしさを忘れない。維新はやっぱり大好きだ。

世界観を壊すことなく(オマージュ)、作品の奥底にある、設定やテーマ、もしくは疑問や矛盾を、維新らしい演出と問答でぶちまけてた(パロディ)。おそらく今後のホリックにいい意味でものすごく影響を及ぼすんじゃないだろうか。実は『コミックファウスト』で読んでたけど。『アウターホリック』の最後の「果たして、人間が視えるのかどうか」は震えた。この問いかけにCLAMPはどう結末をもっていくのだろうか。化町もよかった。ホリックのお話自体のあり方を崩しかねない問いかけ。まあこれについてCLAMPさんはいくらでも応えられそうだけど。

ただ、セリフに維新らしさが足りなかった。人の作った既存のキャラではこれがいっぱいか。今後を期待。それと、言葉回しが意識しすぎと、四月一日のキャラが少しずれていたような気も…。おそらく小説という形態が、四月一日をよりクロースアップして描写するためだろう。逆にマンガにはない心理描写つーか内面の描写が多くて新鮮だった。やっぱりマンガと小説は違うな。早々とアニメでやってたけど、アニメするとだめだ。心理描写とかがうまくできてないし、風景描写もノイズが多すぎて、何が重要か判りづらかったし。というわけで、戯言シリーズは映像化したらいかんのだろうな。マンガならいいけど。

からくり

『からくりサーカス』読了。ついに終わったか。長かった。個人的には○。最後の展開は噂どおりで、僕としても少し気に食わない。多分、マサルの作りこみが足りなかったのかな?作りこみじゃない気もするけど、マサルが鳴海とタメを張れてないのが、いけなかったんでしょう。あと、金銀兄弟の結末がねえ。まあ楽しかったから良しとしましょう。

2006-07-31

男2人が暗闇で…

 映画「ゆれる」を観ました。 揺れてました。 何が一番揺れてたかって、自分の心が揺れてた。 あれは実際に兄弟がいると感じるものがたくさんありますね。 兄弟のいるかたは観ると面白いかも。

 しかし、映画なんてとても久しいものです。 せっかくだから、ちょいレビューつーか、思ったことでも。 [Read More!]

2006-07-14

涼宮ハルヒを

 読んだ、というか、読まされた。無事?一冊め読破。言いたいことはいくつかあるけど、ひとつ。作者はミステリーを読むか、ギャルゲーをしまくるか、どちらかをしたほうがいい。