Mayumiさんのブログに書いてあったので思ったことをちょっと。
今、私の大学には韓国から留学生が来ている。らしい…。
正直、私は留学生と接点がないので来ているということを知っているくらいで…。
で、Mayumiさん曰く、「私の中の偏見は根強い」みたいなことが書かれていました。
くわしくは
こちら。
で、私が思ったことをひとつ。
別に偏見なんて、あって当然じゃないかと思う。
偏見なんてひとつも持っていないと言う人は多分嘘をついてる。いや、絶対嘘をついてる。
まず、人を見た瞬間に「あの人他の国の人だ」って絶対思うもんね。
私はね、別に外国の人に限らず、同じ日本人同士でも偏見はあると思うね。
私なんかね、ホームレスを見ると近寄りたくないって思うもんね。正直に言うとね。
こんなの私だけじゃない。他の人だってあるはず。
ではなぜ偏見が生まれるのか。
それはね、偏見を持つなという教育だと思う。あくまで、原因のひとつね。
偏見を持つなと言われるから、偏見を持ってしまうと私は思う。
分からないのが何で偏見を持つことが悪いということになるのかということ。私は偏見は起こるものだから認めちゃってもいいと思うんだよね。
偏見を認めた上で、外国の方と接する。接していくなかで自然となくなるものじゃないのかな。
そんな風に思う。小学校の時によくあった、見ず知らずの人と毎日顔をあわせる中で仲良くなっていくのと同じことだと思う。
とまぁ自分勝手な考えを書きましたが、もうちょっと続けさせていただこうと思います。
偏見について考えてみたけど、偏見って国ごとに違う捉え方をしているかもしれないと書いていて思った。
例えば、靖国神社の参拝なんかいい例。
私なんかからすれば、ただ戦死した人を参拝している風にしか見えないのだが、中国から見れば、A級戦犯やらなんやらでしか見えない。
これって中国の偏見だと見えるんだよね。私だけかもしれませんが…。
それに比べて日本は、鎖国なんてとっくの昔に終わっているし、戦争も60年くらい前に終わってるし、植民地にもなっていないし、唯一アメリカに一時期支配されていましたが、今となっちゃ何とも思っていない。
殻に閉じこもっているのは、むしろ外国。最近は韓国も緩くなってきましたが、まだまだ海外映画の上映の規制や海外のCDも規制されたりしていてもうちょっと。
それによって私たちの捉え方も変わってくるのかもしれない。
というのは、私はアフリカ系の方やヨーロッパ系の方にあまり偏見を持たない。どっちかといえばアジア系の方に持つ傾向があるように思える。
その壁はやっぱり社会事情。ニュースで拉致やら靖国神社やら規制やら聞くと、やっぱり持っちゃう。私だけかな?
でも、私の感覚からすると、国だけそんなことをしているだけで、そこに住んでいる人や来日した人は必ずしも国と同じ考えを持っているわけではないと思う。私たちが国内の政治を批判するのと同じようにね。
だから来るもの拒まずって感じで受け入れるのが現在の私。ただこちらから向かう気はしない。
でもさ、偏見を解くのってさっきも言ったように触れ合う中で自然と出来るものだと思ってる。ここで大事なことは異国に足を踏み入れたその人が偏見を解くことを積極的にしないといけないと思う。
それは私たちも協力しないといけない。いやむしろ協力するべきだ。でも異国の地で生活をするのであれば、本人が動かなければいけない。
よく来日した人が「偏見はつらい」とか言うけど、それは本人が努力することだと思うね。私から言わせれば、異国の地で生活するんだったら、認められるように努力しろって感じです。
それか偏見なんてくそくらえって思うかどっちかだね。どちらかというと私は、偏見なんてくそくらえと思うタイプだね。変わり者と思われてもどーでもいいって感じ。人から何言われようと別にいいやと思っちゃうし。
と、思ったことをばーっと書いちゃいました。気に障った方がいらしたらすみません。

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