2006-10-09

このブログは現在更新していません。

引き続き

http://mariishiwata.blog63.fc2.com/

をお読みいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。


Mari Ishiwata




















































































































2006-04-11

そんなかんじで私も滅入る

自分は自他ともにみとめるとてもアグレッシブな人間だが

やっぱり同業他者をたくさん見くらべていると面食らってしまう、どうしたもんかな。
I know it's important work! And interesting work!
But I don't know what to do!

いやあ難しいなこりゃ。
日々精進だなこりゃ。
it's too hard for me! you know, you know, you know.

I want to be clearer!
But I never can now! You know, you know, you know....
It's ananananananother story!!
I don't knwo how to manage it!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

But in this way, I notice again what is important to do for me.



Well, I'm never talking about my day-time-job.
I'm talking about my real job...................




それにしても、90年代、きてますね〜。
流行だね?
私がものごころついたのは90年代だから、あの時はまさか現在が過去になるなんて思いもしなかった。セブンティーズとかエイティーズみたいにナインティーズがおもしろく扱われるなんて。時代はほんとにおもしろい。
00年代を代表することがらは何かな?
Jack Tune Crew?

2006-04-09

世の中は

純粋なやつを認めないくせに純粋さを求めてくるような気がするね。
ずるい、ずるい、他人ごとなんだ。

私は負けない!


って思う。毎日勉強して、この矛盾の折衷案を見つけ出してみせる。





この1年の自分自身の動向、とても見もの。
私はずっと社会の一員である実感が欲しくって、学生のそれでは物足りなかったんだ。
だからとにもかくにも、大学卒業はようやっと私のスタート。
みんなだってそうだと思う。

1週間前には「いやだいやだ、」とか言ってた彼らも、なんだかんだ言ってすっかりがんばってる。

がんばれわかぞう!

正直、このかんじ、めちゃめちゃ楽しいし嬉しい。


2006-04-05

ホウレンソウ

共通言語


VIVA 歯車

でも







さいきん


ずっとずっと認めたくなかったことがやっぱり紛れも無い事実と言わざるを得ないのかもしれないっていう現実に直面して

いたたまれないけれども私はこの現実に対してどう対処しようかということに 生きる課題のひとつを見出す。

Anyway 新生活3日目、かなり充実!
正直すごくいいです、ああ、よかったなあ・・・

accepting money with lerning such many things/
(What was "university students" who pay a lot and buy free time? I love that time though. )
having enough time for my own art/
experiencing Japanese culture of business/

社会学を専攻していた私にとってはかなり楽しい環境・・・いままでやってきたことの実践授業(お給料つき)みたいなかんじがする。
4月病かもしれないけど非常に新しくて楽しい世界。

I wanted to watch the world; any pieces can be my interests!

昼間働いている分すごくケジメがついて、よりクリアに自分の「ほんとうのしごと」に熱中できそうです。いっちょまえにビジネスワールドにわりと足を突っ込むぶん、毎日必ずクレイジーワールドで呼吸をするよう自分に課しました。今まではparty party too muchでもてなかったひとりの純粋な時間が持てて、
なんか小中学高校時代の初心に戻った感じするよ。

けっきょく、必要なのはある程度の規律と束縛であったかもしれない。ずっと規律と束縛のなかで育ってきたから、さほど苦ではない、否、むしろ私の原動力だったのかもしれない。

それにしてもよりによってあのお姫様の口から報告されたさまざまな言葉たちは、それはさながら「パンがないならお菓子を召し上がればよろしいのに」と言っているように聞こえた。

I want to watch the world. As much as I can.



すきなもの

ピカソ







ところで今日WOODEN HAND(モデルハンド 女)を買いました。
(絵のデッサン用に好きな形に動かせる、木でできた手です)
だって定価9500円くらい(たしか)が特価で3549円だったんだもん。
ってそれ安いのかよ、って誰もが思うだろうけどさ、そのぐらいの値段するんだってば、たぶん。(サイズ大きいからね。)どうしても木の手がいらなくなった画学生がフリマで500円で売るとかいうレアシチュエーションに遭遇しない限りはどっちみちなかなか買う機会ないだろうと思って買っといた・前から気になってたし

しかもお店で迷いながら見本の手の指をきこきこ動かしてたら、指が一本床に落ちたんだけど、それを拾い上げる瞬間、とても鮮やかなデジャブがやってきました。自分の一挙手一投足が、いつかどこかでの既視感ヴェールに包まれてスローモーションに胸は高鳴った、今はもう思い出せないからきっと例の脳内錯覚なのかもしれないけど、それはなんだかspiritual feelingだったので それも決め手となって買ったのよ


なんとはなしにそのヴェールの色はうすいキミドリだった



って


ん?!


まさか





まさかの


「オーラが見えるようになっちゃった?」(色で)


?!?!?!?!?!?





でも木の手のオーラ見ても・・・・・。



でも私はこの手(ちなみに右手)になんとなく運命感じて(特価だったし。)願かけてみるよ、私の大切な右手を見守るお守りとして。部屋の中に手首があるとそれはそれで違った意味でもどきどき(そわそわ)する不穏さも否めない




ちなみにホウレンソウはホウレンソウ、5W1HでQCDですよね〜


まずは略儀ながら御礼申し上げます。


                         敬具

2006-03-30

沖縄

hello---


I'm now in Okinawa.

おばあちゃんとその妹,
母とその妹,
私とその妹,


という不思議な、姉妹3世代.



沖縄の街(首里のあたり)は意外とスペインのグラナダに似てる.グラナダのアルバイシン,古い家並.



ひさしぶりのアクアリウムのガラス越しの神秘,
鍾乳洞の天井からせまってくるモグラの群れ(みたいに見えるやつ),
おばちゃんのお庭のジャングル.



自分の親戚が南国にいるなんて全然知らなかった.(忘れてた)
意外と陽気な血が流れてることがわかって,なんだかとっても明るい.



毎日毎日を生きていこう.
いつも気楽に,笑って.




2006-03-26

卒業式だった

ついに卒業式を迎えました。






ちょうど1年前に先輩の卒業式の写真を見てから、私は1年間、ずっと卒業を意識して暮らしてきたの。日常的な毎日毎日、その先に卒業を感じていたら毎日感動してばっかりだった。(あと、えーパーティでどんなドレス着よう〜*とか。)

そうして卒業の日それ自体は、あんまり泣いたりしなかった。ただ、着物を着付けて脱いで移動してドレスに着替えてというあまりの慌しさと「知り合いダイジェスト」(あっひさしぶりっあっあなたもひさしぶりっあっ・・)のせわしなさに追われることがとても非日常で、あまりにも非日常であって、それが、あの日常はもう終わりなんだということを示していた。それはぜんぜんいやじゃなくて、悲しくもなくて、センチメンタルに心地よかった。だけれどしかし、すごくそれは必然的な一日だった。予定された一日であった。淡々とせわしないのである。それはまるで夢の中みたいな感じだった。そうだねそれはきっと、みんながいたからかもしれない。私はよく「学校の夢」を見るんだよ。そういうとき、中学校で仲良かったひととか大学で同じクラスのひととか1こ上の先輩とか、なぜかみんないるのである。そんなかんじにみんないた。要するに、私はくるくるとここらへんの世界の中で、なんだかんだ言いながらこの人たちにいっぱい出会ってきたわけなんだな。悪くない、悪くなかった。私はたしかにこの世界に相当苦い思い出とか嫌いな自分もいろいろあるんだけど、だけどこんな世界を卒業していく今日の自分は悪くない。このたくさんの人たちが同時に卒業をみつめている、こんな今日って日は悪くない。

そんなこと思った。

卒業を越えて2日目の今日、べつに何の変化もない。再来週からしばらくの間、平日の昼間は会社で働くので、今日は入社前の健康診断に行った。今日もまた、これはとても必然的な一日だった。予定された一日だった。(と、いう感覚が私にはある。人生のコマを進める際の事務的な作業、それは、出会いとか失恋とかといった突然の出来事によるコマの進まりかたと、真逆な感じなんだ。)もうすぐ会社に勤める、というできごとはそれはそれで私をわくわくさせるよね。会社に言われて健康診断を受けることは、学校に言われて健康診断を受けることとあんまり変わらないというような気持ちになってしまう。新しいステップに移行する。新しい組織に移動するだけ。事態はあんまり、変わらない。私はいつだってつねに守られている。そのことに気づいて今日、なんとなく可笑しかった。べつにそれはいやではなく、もちろん嬉しいわけでもないけれど、ただなんだか、淡々とした事実であった。

今回もまた、私の血圧は低く、そして視力は両目1.5だった。この視力は神様からの贈り物だとまじめに思う。視力検査のときは毎回神様ありがとうっていう気になる。私の運動神経は平均よりもとても劣っているので、考えてみれば身体的な能力というかたちで人に自慢できることはけっこう少ないのだなあと思う。だからこれだけは胸をはって自慢させてくれ、私は目がいい。視力が悪い人の目が節穴だ、とかは当然全く微塵も思っていない。そういう意味じゃなくて、でも私の視力のよさには意味があるって思っている。観察する力、見つめる力、見極める力、そして何よりも、絵を描くための道具としての力。神様ありがとう、私はこの目と右手がある限り絵を描くことができる。しかしときどき不安がよぎるように、たとえ右手を失うことがあるとしても、この目を失うまでは絵を描こうって思う。そしてあるいはこの目を失うときがくるとすれば、それはひとつの死ではあるけど、そうしたらまた、考えよう、と思う。何か別の方法を。
(ところでちなみに昨日「ミリオンダラーベイビー」を観たよ。タイムリーだったしいい映画だった。まさに文字通りスピリチュアルムービーだったでしょう。)






大学卒業に際して

私は「人生の抱負」とやらを思う。

私はこれからの人生、
1)頭を使おう。
2)心を使おう。





さっきの両目と右手というのは、頭と心の使者なのである。頭と心をフル回転させて、一瞬一瞬を生きていこう。そう決めた。






頭を使う。






これは何も、つねに計算して先を先を見て動こうということでは決して無い。これはね、「つねに自分の頭で考えようとすること」。ただなんとなく、テレビや広告や噂話や伝統や常識に頭をジャックされていることにも気づかずに、それらの奴隷になって生きていくのは私はいやなのだ。どうして?どうやって?って、いつも頭で考えたい。「つねに自分の頭で考えようとすること」。これは一般的にいう頭のいい悪いとは違うの。だけど必ずしも無関係ではないと思う。それは「ドラゴン桜」でも言われてたことなんだけど、なぜそう思うかっていうと、自分が頭が悪いと思っているひとは、自分自身でなにも考えていないってことが多いからだ。もちろん例外はあるし、例外だらけだ。私は、大学の名前や企業の名前やお金の量以外に自慢するタネの無い可哀想な人たちや、そんなものがあってもなくても自分の頭でいつも考えて生きている立派な人たちを見分けることができる(あるいはできるようになろうとしているつもり)。





心を使う




私にとって、大切なのは自分の心に正直であること。私の辞書にタテマエという文字はちょぴっとしか無くて、ほとんどは本音だから、本音という文字もいまひとつしっくりは来ないけれど、まあ似ている。私は、この世の中に「真実」なんて無いと思っている。あるとすれば、それはひとりひとりの心の中にあるだけだと思う。そのひとりひとりの心の中にあるそれにいつも尋ねてみるんだ。それが心を使うということ。




そして将来の野望を思う。




1)世の中の役にたとう。
2)有名になろう。



最近思う、私たちはみつばちみたいだと思う。みつを食べたくて花と花の間を飛び回っているんだけど知らないうちにそのあし先に花粉をつけて運んで、新しい花のいのちを撒いている。あるいは知らないうちに植物の種をからだにつけて運んでいる、けものたち。それとおんなじふうにして、私たちだって世の中にとっての何ものかになる。知らないうちに。私は世の中の役に立ちたい。必ずそうしてみせる。

有名になりたいという気持ちはいったいどこからくるのだろうと考えていた。だけど最近すこしずつその意味がわかってきた気がするんだ。私自身が、直接会ったことのない有名な人の書いた本に人生を支えられた。それとか、知人がちょっとずつ有名人になっていく中で、テレビや雑誌で見るその人と私が実際に出会って見てきた姿とを照らし合わせていろいろ感じたり、応援したり、こちらが勇気付けられたりする、っていうそんな経験とか。私が有名になるということは、私の知らないところで誰かが私の姿や言葉に接しているということである。出会った人全員に面と向かって「ありがとう」と言うことができなくても、その気持ちを伝えようとしていたらきっと届く。毎日生きていて私が強く思ったことを、もっとたくさんの人に伝えることができる。人生の中で直接に出会える人数が限られているといっても、直接出会える数以上の人に出会うことができる。私が望みさえすれば、それは一方向じゃないコミュニケーションになる。そういうコミュニケーションがあってもいいって思うの。テレビや雑誌や広告はよってたかって、人間たちをなんにも考えられない・感じられない生き物に変えようとしているみたいなニュースや商品をいっぱい垂れ流している。そういうものたちがいっちょまえに有名になって人々の記憶の部屋の場所をとっている。あいつらにできるなら私にだってできる。あいつらを阻止するために、私は有名になりたい。


昔見た本で、私の誕生花の花言葉は「名声」だったの。私はそれを信じている。


知らないところで誰かに見られていてもいい自分になること。接していたいと思われるような自分でいるように心がけること。そして、綺麗でいるのではなく珍しく新しいものでいること。そういえば卒業のパーティにつんくが来た。少なからず尊敬している、つんく先生じゃありませんか!!さすが、大先生はいいこと言ってた。人のやらないことをやること。そのことにこそ、世の中の役に立つことのヒントがあるって私は思ってる。


私は自分や周囲が年を重ねていくのが楽しくてしかたがない。なぜならみんな、それぞれがもっともっと「自分」になっていくから。すべて自分次第なのだ。だけど私は最近、今日死んでしまってもかまわないって思うしそう思って生きたい。そのくらい、一瞬一瞬を生きていたい。

ロンドンで部屋に落ちてた誰かさんのペンケースに書いてあったことは、

Dream as if you will live forever.
Live as if you will die today.




卒業おめでとう。
これからも続くみんなの人生にわくわく!

2006-03-20

電車の子

今日うれしかったことのひとつは、私が2年くらい前に勝手に名前の響きの関係から「ニモ」ってあだなをつけた子が、こめつぶ大のニモっぽい魚を携帯電話につけていたこと。「誰からもらったの?」と聞いたら「わたしから。」と自分で言っていた。「ニモ」という名前がけっこう気に入っていたのだな、と思いいとしくなった。



今日、ニモ、ゆいちゃん、えみちゃんといっしょに南北線に乗っているときに、恐ろしくへんな男の子(5歳くらいかな)を見た。電車の中で靴もくつしたも脱ぎ捨てて、はらばいになって床にほっぺたをつけたりしたり、ドアのきわのとこに座ってドアが開くたびに電車とホームのすきまに足を挟んだりして遊んでいるのだ。

車内の全員の目が彼にくぎづけになっていた。
事故が起きるのは時間の問題だ、とみんな思っていたと思う。

私はとっさに彼のうでを引いて、「お願いだからやめて?いすに座って?」と言った。

そうすると彼はこっちをじっっと見る。そしていちどはいすに座るのだけれど、すぐにまた同じことを繰り返す。

けっきょく車内の大人が入れ替わり立ち代り、そのようにして彼を引っ張っていすに座らせることを繰り返した。私たちは溜池山王で降りなければならなくて、そのあと彼がどうなったのか、気にせずにいられなかった。

私の顔をじっっっっと見た男の子の目が、頭に焼き付いている。「ねえ、お願いだからいすに座って。みんな心配しちゃうから。」とか言ったけれど、「いったい何て言ったらこの子に通じるだろう」って思っていた。「もっとマシな言葉は見つからないのだろうか?」とも思った。

男の子は、どの駅でどちら側のドアが開くのかを知っていた。知っていて必ず間違えずに開く方のドアの前でスタンバイしていた。

私は男の子に、その遊びをやめてほしかった。それは、いつかうっかり電車とホームの間に落ちるかドアに足を挟まれるかもしれないからだった。だけど私は思うけど、私はほんとは男の子にその遊びをやめてほしかったんじゃなくて、ほかの遊びに切り替えてほしかった。そのときは気づかなかったんだけど、帰りの電車の中でえみちゃんに話していて、「私はあの子に絵を描くことを教えたい」と気づいた。私はあの子に絵を描くという遊びを教えたい。

きっとあの子はじっとしていることができないタイプの子どもなのかもしれない。そしてえみちゃんたちいわく、となりに座っていた女の人はお母さんかもしれないという。お母さんなのにあの子に何も言わないなんておかしいし、ほかの大人たちがあんなにやっきになっているのにそれでもなおほったらかしだなんて、あの女の人の心のことが心配にもなるけれど、きっとお母さんはあの子について途方に暮れていたのかもしれない。

だけど私は白状するとあんな子どもが少しうらやましい。なぜって私はあんなに自由な子どもではなかったから。あの子の遊びはけして物悲しいものではなくて、なんだか「おいおい、あまりにも自由すぎるよ(電車の中にしちゃあ)」という感想を私の唇にのぼらした。
あの子にとってあの遊びはたしかにけっこうおもしろかったと思う。だけど電車の中ではあんなふうに遊ばないで欲しい。それはただただ危ないから。「絵を描くっていう遊びがあるよ」ってあの子に言いたい。電車のゆかにほっぺたをつける代わりに大きな白い紙の上に寝そべって筆に絵の具をつけて踊ってみたら?

あの子には、電車の中でなぜいすの上にじっとしていなくてはならないのか、そのルールに理由がただわからなかったのかもしれない。なぜじっとしていられない子どもがいるのかわからない子どもだった私がいたのと、同じように。

私はあの子とあの子の母親にもういちど会うためにもういちど南北線に乗ってみようかしらとも思うし、もしかしてそれはしないかもしれないとしても次にこんな子どもに会ったときはもっと違う言葉をかけてみようかなと思う。

私はあんな子が描く絵を見たい。

2006-03-18

卒業と学校と友達と遊び、そして人生。

3月15,16,17日の3日間(準備・当日・かたづけ。)
「学校で遊ぼう」@133教室

学校で遊びました。
ほんとに遊びました。

こんなに楽しいって思ってイベントしたの初めてだった。
こんなに学生が楽しかったの、生まれて初めてだったかもしれない。初心に帰らせてくれた。

私が今まで絵を描いてきて、ずっとね、
学生っぽく見られたくなかった。素人っぽく見られないようにした。「学生のお遊びでやってるんじゃ無い」ってこと、それをアピールしたい一心だったんだ。

だけど私がそもそもなぜ絵を描いているのかって?それは楽しいからに決まっているんだ。それがいちばんの「遊び」だから。

ねえ、遊ばなくちゃ生きてる意味なんてないね?

そんなこと思い出した。

私はにこにこ顔が止まらなくて、夢みたいに楽しかった。
それにあのたかはしくんの顔見た?広い教室の教壇のうえで彼の笑顔が場を制したよ、それが私にはたまらなくうれしかった。

いままで、学生イベントはなぜか辛かったからね。未熟さがアダとなってしんどくて、なにかちがう、って思ってたんだ。ちがうよちがう、遊びだよ。って。



そしてこないだ生まれて初めてヨーロッパに行ったよね。それも大きかった。「日本人は仕事するために生きていて、ヨーロッパ人は生きるために仕事をしている」と話には聞く。だけどそれがどんなことなのか、いまひとつわからなかったんだ。だけど行ってみてわかった。彼らはほんとに、生きる合間に仕事している。だけどそれは仕事を愛していないわけじゃ無い。
私たちと彼らは決定的に違うと思った。私たちはアジア人だと思った。帰国してテレビをつけてまず目に入ったのが「しゃべり場」で、なぜ私たちはそんなにストイックにガツガツしていてそれでいて将来の心配をしてそれでいてちかごろ流れがおかしくなってきて、つねにどんよりと絶望的なムードにつつまれているんだろうって、どうしてヨーロッパみたいにリラックスして生きられないんだろう私たちはって、私はとっても悲しくなったけれど、でもね。
次に気づいたことは、けっきょくのところそれは、国の力の違いなんじゃないかっていうことだった。あんなのんびり暮らしてる国たちにパワーがある(あるいは昔あった)だなんて信じられないけど、けっきょくいまのところ私たちはヨーロッパがつくったしくみの世界の中に生きていると思う。だからなんだと思う、あの余裕は。だからヨーロッパを見て悲観するのは違うと思った。日本で暮らす中で団塊の世代の人たちが嫌いでたまらなくて、あのひとたちの言っていることがまったくわからなくて、私たちの世代は彼らとのギャップの中で価値基準を失って迷ってる気がする。だけどそれは、なんだかどうやらヨーロッパと同じ(に見える)風な生活スタイルを始めてしばらくたってしまった今だからこそこんなずうずうしいことを思ってしまうだけなんだ。団塊のあの人たちが、日本を作ってくれたんだ。一生懸命。なんかそういう気がしてきて、団塊の世代が憎めないような気がしてきた。
だけどこれは必然で、私たちの世代が日本を変えていくと思う。それは「日本を変えていこう!」なんて野望ではなくて、そして「いったい将来どうなってしまうんだろう」なんてどんよりした杞憂でもなくて、ただただ、自然に変えていくと思う。
そして私はあらためて、こんな日本ていう国が好きだ。

私がアジアを旅行したときにもヨーロッパを旅行したときにも実感したことは、「日本人はアジア人だ」ということ。「日本は欧米型の生活を送っている」と言われて久しいけど、私はそうじゃないと思う。「生きてやろう」という必死さのアジアと、「生きることを楽しもう」という余裕のヨーロッパとの対比。そういう意味で、私たちはヨーロッパよりもアジア人だと思う。でもそれはいやなことじゃなくて。

そして、

だからだったんだ、って妙に納得したの。そういうふうだから、だからたぶん今になってやっと、私たち日本の若者は、価値基準を失って迷っているんだって。「生きてやろう」なんて気持ちで必死に生きなくても、まあまあ生きれるくらいの国になってしまった。だけど「生きることを楽しもう」なんていう文化は無いもの。そんなこと口に出して言ったら、負け組に聞こえる。じっさい、私自身がそう思っていたんだ。日本にいて、遊ぶために仕事している人を見ると、非常にだめ人間に見える。「向上心のないやつは馬鹿だ。」N目漱石は書いたよね?

私にとってなによりも大事なことは向上心だった。

スペインに行って、たとえばレストランとかお土産ものやさんに入って、あの無邪気なハビトゥスとしての「オラ〜(←挨拶)」と笑顔と、商売っけのなさ(言い方を変えれば向上心のなさ)にはとっても度肝を抜かれた。ロンドンはさすがに違うだろうと思ったら、ロンドンもそうだったんだよね!ニューヨークとは全然違うんだ。クラブでの男女の出会いにいやらしさがない!ニューヨークでは男が全員女に対して「こいつ引っかかるかな?やれるかな?」って品定めしてるように見えた。ロンドンでは、ただ「こんにちは〜」といっしょに楽しく踊ったら「ばいば〜い」だった。もちろん輪になってマリファナ吸ってたけど、「私は吸わないんだよね」って言ったら「そうなんだ君は吸わないんだ」だけで、態度も変わらない。とてもふしぎ、おなじイタリア人でも、ニューヨークで出会ったイタリア人のキスやハグはずるくていやらしいのに、ロンドンではただただフレンドリーなのだ。場所の力ってすごい。その場所には、その場所に集まるべき人々が集まっているのだ。


違うかもね、私間違ってるかもね。でも私は今回そう思ったんだよ。

でもでもま。
で。

私はニューヨークを選ぶかロンドン(あるいはスペイン?)を選ぶか、という命題について、ロンドンにいる間じゅう考えてた。


でも、らちが明かないから考えるの、もうやめにした。

考えても仕方ない。

流れに身を任せよう。

ニューヨークVSヨーロッパ。
というそれは私には、
単純に言ってしまえば、

向上心や変化し続けようという気持ちをとるか、
遊び続ける気持ちや仲間との遊びをとるか、の二択に思えたんだ。だけど、もしかしたら、そんなこと決めることじゃないのかもしれないし、そもそもそんな単純な二択はきっと嘘だし。

とにかくね。

ヨーロッパで私の目のうろこは落ちた。
なっちゃんといっしょだったのも大きかったかもしれないけどね。

「そんなに生き急がなくてもいいじゃない」って、あの頃の私はあの子に言われた。ある意味私と1,2を争うくらい(たぶんね。)生き急いでたあの子にね。笑っちゃうよね。だけどだめだったんだよね、実感できなかったよ。今ね、やっと実感しているよ。

ゆっくり生きること、遊ぶことが、なによりも大事だって、言えるときもあるってこと!!!

あの子じゃなくて今の恋人を選んだことを、3年近くの時差で改めて祝福しよう。ここんとこずっと許せなかった彼のマイペースさや向上心のなさを、彼の長所としていまは見られるよ。彼のもちもののなかでいちばん気に入っている、あの「信じられないほどの笑い顔」を見てまた思う。彼もいて大好きなみんなもいて、こんなふうに大学で出会えて、最後にいっしょに無邪気に遊べて、あまりにも良すぎやしないか?!私の大学生活ってのは!

ちなみにこんな取り留めの無い書き連ねの中で、スペインにいっしょに行ったなっちゃんについての大切な話をしながら大学の話題に戻ってみよう。

2週間半いっしょにいて、けんかしたり多少むかついたり気まずい瞬間があったりするのかなって思ったのに、皆無だった、なっちゃんのことが好きで好きでたまらなくなっただけだった。なっちゃんみたいに母性を感じて、そして女を感じる友達が私は初めてだったよ。やっぱりひとってのは、歩んできた道と経験がものを言う。頼りになって、それでいてあまり賢くはない(しかし地図が読める)なっちゃんがそばにいたことに、旅の道中、救われた。そしてこれからの人生の道中、同じ世界になっちゃんが生きててくれるという実感に救われるよ。ほんとにね。
ありがとうが止まらないの。
(追伸:賢くない、というのは良い意味で。もし賢かったら、私がむかつく人間だっていうことがばれちゃうんだけど、なっちゃんにはばれなかったみたいだった。)

なっちゃんと卒業旅行ができたこと。
そして先日の「学校で遊ぼう」でほかのみんなと学校で遊べたこと。

このできごとたちがあって私はほんとに思ったの、ああやっと私の学校人生に健康なばら色の時代がやってきたんだなって。大学は、小学校より中学校より高校よりずっと楽しかった。

中学校のとき「なにを聞いてもつまらなそうに答えるだけ」だったと母のいう私が、望んでK高校に入学して、それは確かに新しい世界で楽しくて、母も「ほんとによかったね」って言ったけど、だけどさ、最終的にはほとんど全くといっていいほど「学校の友達」を紹介してあげられなくて、楽しいエピソードも聞かせてあげられなくて、これはほとんど親不孝だとさえ私は思っていた。そりゃ、少々はあったけど、両親に聞かせてあげれた楽しいエピソードよりもよっぽど、「友達いっぱいで楽しそう」にみせかけてついた嘘のほうが多かった。そんな嘘たちをついた理由は、友達がいるふりをするためというよりは恋人と遊んでいたことを隠すための嘘だったけれど、結果的には大差なかったと言っていい。私にはほんとに友達がいなかったし、恋愛関係もほんとうに閉鎖的だった。「今日は○○ちゃん」「今日は●●ちゃん」と親に言い訳しながらめちゃめちゃ胸が痛んだのは、嘘をつくことの罪悪感に加えて、ほんとうは全然そんな深い友人関係なんどこにもひとつも無かったからなんだ。二重に親不孝だったよね。

ねえねえお父さんお母さん。今私には、あの頃みたいな嘘じゃなくて、自慢したい友達がほんとに大勢いるよ。大学に大勢、さかのぼって小・中・高校にも大勢、学校の外にも大勢、それに世界中ほかの国にまでいるよ。私は、嘘なんかつかなくてもいつのまにか自分がこんな場所まで来たってことに、ほんとに驚くし目頭が熱くなっちゃうよ。自分をここまでにしてくれたのが、紛れもなく絵の存在だったりもしてね。

「卒業」がこんなに「卒業」なのは人生で初めてだ。
「学校」がこんなに「学校」なのも、「遊び」がこんなに「遊び」なのも、「友達」がこんなに「友達」なのも。

私にはね、今まで欠けてたものがいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっっっぱいあったよ。

今ようやくなんだ、こんなのは。
まだまだまだまだ欠け続けてるけれど、生きてて楽しいのは、欠け続けているからなんだ。





2006-03-15

眠れてない子

昨夜はテンションの高ぶりで文字通り一睡もできなくて、今日は帰りの電車でねむ死にするかと思ったけどかろうじて死ななかった。

真夜中のテンションで告っちゃったったみたいなかんじに昨夜友人に思っていることをぶつけてしまったが
それはもののはずみだったような気が今はしてもきて

今日はなんだかおだやかな気持ちで、一睡もしないで明けた朝は早起きした朝と同じもの、早起きことりの気持ちでオー午前中ってなんて長いの!と思いながら過ごす。
日本語がぜんぜん頭悪そうなのは脳みそがだんだんタイムリミットを迎えてきているため。あと数分のうちに寝ればようやく時差ぼけも解消といったところね。

今日は両家の祖父母の家を訪ねてみたりして
なんだかおだやかだったんだけど
やっぱり親戚と会うのはこころ穏やかでばかりもいられない。ざわざわする。私はいっしょうけんめい自分のやっていることを祖父母にも認めてもらいたいと思って示してみるのだが
やはりそれは無理であって
「素直に喜べない」という気持ちをひきつづき彼らに与える。
今日祖父母と話したことは、テンション上がりすぎた自分をどうどうどうとクールダウンすることになって
うんうんたしかに冷静になってもみれば

階段のところに届いていた、青いことりの美しい表紙の結婚式の招待状、を眺めてみれば、うんうん、東京の生活も悪くないかな。なんていう気にもなってくる。

結婚かあ。

今年は現時点でも結婚式が2組ですね*

ひとつは大人組だけどさ。

結婚式か。

なんか、

うきうきでもないしわくわくでもないし、うまい言葉がみつからないけど、なんだか「人生だなあ!」っていうかんじがする。

今日はなんの日ッふっフー

今日はたかはしくんがメキシコから帰ってくる日!

なんだかものすごくうきうきしていたのに、私の気持ちは不発に終わる。彼の新しい同居人のことはすごく好きだけど、彼のまわりのちびっこ男子たちも大好きだけど、でもやっぱり予想していたとおり、男の子たちといっしょにいる恋人といっしょにいる私はやりにくい。電話もろくろくできないし、ああ私たちの関係はよもや終わりを告げるのか。。。
恋人のよそゆきをみているのは疲れる。ヨロパのひとのように、つねに腰に手をまわしてつねにキスをしてくれてつねに愛をささやいていてくれれば満足というわけではないけれど。とにかく先行きがときどき不安にもなるくらい、全然リラックスできない!もんもん!彼のメキシコ行きサプライズのせいで私のスペインはすっかりかすんでいる。あいつのサプライズ具合はシュールにくくく。恋人とはいえなんだか存在がギャグだ。

なんかすっごいまぬけな神々がついたメキシコのユニホームを買ってきてくれた。5ペソ。ペソって笑いを誘う通貨じゃないですか。でもメキシコ行ってみたい。フリーダカーロの家・・・・・ なんだ、私もいっしょに行けばよかったな。メキシコに行く機会なんてこの先あるかな?私も行けばよかった。たかはしくんといっしょに行けるうちに。

いま、みんなうそみたいに世界中をぴょこぴょこぴょこ飛び回っているけれど、2週間後にはワオウ!もう180度別の世界が、みんなのまわりに繰り広がってんだ!

たかはしくんたかはしくん、それはあだ名。結婚しても夫のことをたかはしくんて呼んでたらそうとう変だ。ポッシブル。彼のことを彼氏っぽいあだ名で呼べない。

そんなことよか明日から3日間は学校で遊ぼうだな〜フフ〜


ねよ


2006-03-14

スペインのお城

バネッサとアイノア、そしてゆかいな仲間たちの全面協力のもと、スペインはサンセバスチャンのお城で、一夜限りの展覧会が行われたんでした。

たった一晩、実質2・3時間くらいだったと思う。でも絵はけっこう売れた。後日売れたものも含めて、13点売れた。(過去の思い出の名作の何個かはスペインの地に嫁ぎ先を決めたよ)

私にとってタイトルはすごく重要なんだって、バネッサに伝えて、だからバネッサはひとつひとつ丁寧にスペイン語訳してくれた。(バネッサはジャーナリスト・ライター・コピーライター(おそらく)だから、けっこううまく意訳してくれたっぽさがある。)お客さんはみんなタイトルを気に入って、バネッサは、買われていった絵ひとつひとつのタイトルとその背景の物語を私から聞き出して、それぞれの買い手に説明した。

そして私のほうには、それぞれの絵を、買った人の名前や、購入をめぐるエピソード、その絵の後日談などもいろいろ説明してくれた。

たとえば

「はりねずみのジレンマ」
・・・メンチュとミゲルの夫婦。ちいさな息子へのプレゼント。

「空想の中のたばこ」
・・・ホアンの友人のイヴァン。彼はよくアートを購入したりするのだけど、この展覧会を見るためだけにドイツから来た。

「花にはちどり」
・・・バネッサの叔父。娘のオラッツへのプレゼント。オラッツがこれがほしいとねだった。

「悲しい私、よくばり」
・・・ウルツィ。恋人へのプレゼント。

「妙な女」
・・・ミケル。彼は弁護士で、彼は事務所の机の上にこの絵を飾っている。

「●●」
・・・**。意中の女性である##がこれを気に入っていたのでプレゼントとして買ったが、##は残念ながら全然振り向いてくれないのでかわいそう、でも##はこの絵をもらってご機嫌、


など、など、など。

私の物語の上に、買う人の物語が重ねられていく。
私にとって、そんな素敵なことはない。だから、私には、「売る」というプロセスはとても大切なのだ。

うれしいのは、今回、誰かから誰かへのプレゼントが多いこと。プレゼントにまつわる、いろいろな物語。


日本に帰ってきてじわじわとかみしめる、幸せ。
私たちはほんとうに、丁寧で暖かいスピリチュアルなビジネスを始めているみたい。