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    <title>　│?│火水未濟?│?</title>
    <link>http://my.spinavi.net/Mune/</link>
    <description>高橋志臣が経営する『古書肆・白河堂』の５つある出張所の１つ。主にアカデミック専門ブログとなっている。</description>
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      <title>　│?│火水未濟?│?</title>
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    <item>
 <title><![CDATA[スキン変更＆今後の趣旨]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=54</link>
<description><![CDATA[綺麗になりました。ようやくモチベーションがあがるわ、これで。<br />
<br />
さて、他のところでは『Silver Funk』とか『あだゆめ』とか『神饌喰い。』とか『Scoops RPG 古書肆・白河堂』とかmixiの日記とか、色んなところにOUTPUTの拠点を持っている私が、もっとも更新優先度の低いこのブログコーナーで何を使用か考えた結果。<br />
<br />
まあ、やるのは学問的な話かな、と思います。<br />
<br />
しばらくは、『口承文芸としてのテーブルトークRPGの研究と柳田國男「口承文芸史」の接点、というテーマで考察を進めていこうと思います。<br />
<br />
あとは、英語の日記かな。適当に書けそうなこの場所だからこそ、修練場になりそうな予感。がんばりますか。<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=54</comments>
 <pubDate>Sun, 21 May 2006 05:11:11 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[MySpinaviは使いにくい]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=53</link>
<description><![CDATA[なんで更新しないかというと、mixiとココログで済ませてしまっているからです。<br />
だって重いんだもん、このブログさあ。<br />
<br />
現在は王陽明とベルクソンと華厳経と西垣通に耽溺する日々です。<br />
<br />
いっそ陽明学者になりたいです。<br />
<br />
TOEFLを勉強しつつ、『伝習録』と『思想と動くもの』と『基礎情報学』の重要事項を写しつつ、四書五経と純粋持続と情報編集に思いを馳せる日々です。『孟子』も上下巻欲しいわ。<br />
<br />
ああ幸せ。<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=53</comments>
 <pubDate>Fri, 7 Apr 2006 14:23:18 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[輪廻転生についての長い考察]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=52</link>
<description><![CDATA[私は（すっかり書き忘れていましたが）宗教社会学を専攻する助教授が運営する研究会の、ゼミ代表をしているのです。 <br />
<br />
なんか色々と好き勝手にやらせてもらっているので、全然宗教研究っぽくない今日この頃なんですが。（最近自分らの代がメインやってるのは経営人類学、個人でやってるのは遊び論×情報社会学だしな） <br />
<br />
しかし前期はそうもいかず、輪廻転生についてどう思うか、ゼミで教授が提案して小一時間ほど、話し合ったことがあります。 <br />
<br />
ゼミ代である自分は司会進行役だったので大したことを言わなかったのですけれど、信仰を持たないのにもかかわらず意外と「信じている」と意見を言う人もいて、なかなか面白いものでした。 <br />
<br />
<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=52</comments>
 <pubDate>Tue, 6 Dec 2005 02:21:05 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[フレーム問題とロボッツ・ジョーク]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=51</link>
<description><![CDATA[「コンピュータが人間と同様の知能を持つ」と仮定した時にぶち当たる困難の一つとして、「フレーム問題」というものがあります。<br />
<br />
「フレーム問題」とはもともと、コンピュータの論理演算で記述する情報の量を減らす為に、真理値が変化しない情報を演算でいちいち取り扱わないと考えることで、記述コストを削減するものとして生まれました。<br />
<br />
ところが、その副作用として、その変化想定したりするのに、記述するコストとはまったく別の膨大な情報処理が必要になり、結局演算にかかるコストはトレードオフを起こし、人工知能は満足に行動することができなくなります。<br />
<br />
コンピュータが起こす知恵熱と考えるとわかりやすいでしょう。<br />
<br />
これが1969年にマッカーシーとヘイズが言及したことに始まる狭義のフレーム問題で、その後、人工知能の実現をめざす研究者の間で、喧々諤々の議論が交わされることになりました。<br />
<br />
しかしこの知恵熱、コンピュータだけの問題ではおさまりませんでした。世界に存在する情報を部分的にしか把握し得ない知的生物すべてにも、このフレーム問題が生じる可能性があると仮定し、その問題を論じる研究者が工学畑以外からも続々と登場したのです。<br />
<br />
これを、上記の人工知能に限定したフレーム問題と区別して「一般化フレーム問題」と呼びます。<br />
<br />
一般化フレーム問題は、人間にも起こりうる現象です。２８手詰めの詰め将棋について、将棋の駒の動かし方くらいしか分からない人が考えても、なかなか答えは出ません。<br />
<br />
ところが人間は、そこで１年間、演算でフリーズしたコンピュータのように飲まず喰わずで考え続けたりはしませんよね。人間が人工知能と大きく違うところは、この問題をいったん「仮留め」したまま、別の問題の処理にも取り掛かれることです。<br />
<br />
また、一つの大きな問題を解決するための条件をさまざまな側面から細分化して、個別に片付けていくことも、人工知能にはなかなかできませんが、人間はあっけなく実行できてしまいます（適当な用語が見つからないので、「問題の細分化」と呼ぶ）。<br />
<br />
さらに、一般化フレーム問題の議論に基づけば、「フレームの付与」という処理が、人間の推論プロセスにおいて働いています。推論の枠組み（フレーム）の外の問題を据え置きにしておくことで（これも「仮留め」の一種と言えましょうか）、ヒトはフレームの内側に捉えた情報だけに集中できるというわけです。<br />
<br />
直線的な論理演算ではヒトはコンピュータにまったく及びませんが、この人間の思考プロセスおける「仮留め」「問題の細分化」そして「フレーム付与」が、人間の情報処理能力をコンピュータと比べて驚くほど柔軟にしている重要な要素であると見て、大体間違いないでしょう。<br />
<br />
人間もコンピュータも、自然全てに対して一度に論理演算を掛けられるほど賢くはありません。しかしなぜか人間は、必要な分“以外の情報”をやすやすと無視することができる。まあ、その情報の自然な絞込みがしばしば「推論の間違い」を引き起こすのですが、少なくとも、知覚できる情報すべてと正面決戦して爆死するよりは、マシなやり方と言えましょう。<br />
<br />
一般化フレーム問題は、人間も情報を部分的にしか知覚できていない以上、（本質的には）解決されないだろうという意見があります。周囲の環境を一瞬にして推論の材料にできるような知性というのは想像が付きませんから、私もその意見に概ね同意しています。<br />
<br />
そして実用面では、コンピュータにも人間のような、「仮留め」や「問題の細分化」「フレーム付与」といった能力を与えられるかどうかについて考えることが、人工知能を実現するにあたっての必要条件となるであろうと私は考えています。<br />
<br />
人工知能研究は、それ自体の成立を目指していたはずのに、情報処理機械として見た場合の人間の豊かな能力に気づかせるという、意外な研究成果をもたらしたのでした。<br />
<br />
とまあ、小難しいことを書いてきましたが、こう考えると、知的生命体としての人工知能をギャグにすることも、けっこう簡単になるわけで……。<br />
<br />
<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=51</comments>
 <pubDate>Sat, 3 Dec 2005 10:17:25 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[書評 『人工知能になぜ哲学が必要か』 1969]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=50</link>
<description><![CDATA[1969年に発表されたフレーム問題に関する重要な論文に、「一般フレーム問題」に詳しい松原仁の論文を合わせた、二本立ての書籍である。 <br />
<br />
（マッカーシーらの論文は論理学、とりわけ述語論理学の訓練を積んでいない人間にはまったく読めない……と言うほどでもないかもしれないが、相当むずかしい為、論理学の知識に自信がない場合は、先に松原氏の論文の方を読むことをお薦めする。） <br />
<br />
<br />
松原氏が取り上げる「一般化フレーム問題」とは、「記述」のフレーム問題と「処理」のフレーム問題の両方を総合した問題のことである。 <br />
<br />
マッカーシーらは、人工知能の論理記述量を減らす為に、推論の枠組み（フレーム）を提供するという考えを示したが、これはそのフレームを適用する前提を遡って演算するという別の煩雑さを発生させるという副次効果をもたらした。 <br />
<br />
この問題について研究者たちが議論を交わすうち、これは人工知能だけの問題ではない、ということが明らかになった。ヒトもまた、有限の情報処理能力しか持たない以上、適切な情報を常にうまく参照できるわけではないのである（これを「情報の部分性」という）。 <br />
<br />
ところが私たちは、どういうわけか、推論すべき問題とそうでない問題を容易に選びとる能力を持っており、フレーム問題をうまく回避しているのである。 <br />
<br />
しかしヒトもまた、フレーム問題を本質的には解決し得ていない。松原氏はそのことについて詳しく言及した後、 <br />
<br />
「人工知能研究で考えるべきなのは、なぜ人間はあたかも一般化フレーム問題を解決しているように見えるのかという擬似解決の問題である」 <br />
<br />
と結論づける。 <br />
<br />
マッカーシー＆ヘイズによる論文は、20世紀後半の情報工学・社会科学を騒がせた一般化フレーム問題の起爆剤となったという意味で、情報工学ならびに情報学の重要な出発点の一つとして位置づけられる。難解だが、一読しておく価値は十分にある。 <br />
<br />
<br />
余談だが、「フレーム」といえばＭ．ミンスキーの「フレーム理論」も有名であるけれども、マッカーシーとヘイズが情報工学の分野において先駆的に取り上げた「フレーム問題」とミンスキーのそれとは全く別の概念である。注意されたい。 <br />
<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=50</comments>
 <pubDate>Sat, 3 Dec 2005 03:13:41 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[必要・十分条件と情報の差異について]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=49</link>
<description><![CDATA[メモっち。<br />
<br />
<br />
<br />
自分は「十分条件」「必要条件」についていくぶん理解に乏しかった。<br />
<br />
というのも、矢印で考える方法と集合（べん図）で考える方法の２つが、自分の頭の中ですっきりと収まってくれなかったからである。<br />
<br />
<br />
**<br />
p→q<br />
<br />
という関係が成り立つ時、<br />
<br />
p(仮説）はq（結論）の「十分条件」<br />
q（結論）はp(仮説）の「必要条件」<br />
**<br />
<br />
<br />
という説明は、正直かなり混乱するし、しかもそれに加えて<br />
<br />
**<br />
┌──Ｑ───┐<br />
│　　　　　　　　 │<br />
│┌─Ｐ─ ┐　│<br />
│└───┘　│<br />
└─────  ┘<br />
**<br />
<br />
なんて図を持ち出されれば、余計にわからなくなったのだった。<br />
<br />
<br />
こんな私だったが、昨日ついに、「集合として狭いpの方が、情報量としては多い」という考え方で、この２つを明瞭に区別することができた。<br />
<br />
<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=49</comments>
 <pubDate>Mon, 28 Nov 2005 07:52:09 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[KEIO TECHNO MALL 2005]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=48</link>
<description><![CDATA[KEIO TECHNO MALL <br />
http://www.kll.keio.ac.jp/ktm2005/ <br />
<br />
日本の大学における理工分野の研究がどういう方向に向いているのか、とてもよくわかるフォーラムになってるみたいです。 <br />
<br />
面白そうなので、来週午前に行って見ようかと思います。しかし、文系学生が行ってもどれだけわかるものやら。 <br />
<br />
気になるのはこの辺かな。 <br />
<br />
<br />
「ヒューマンエラー・マネジメント活動評価プログラム」 <br />
「IPv6インターネットにおける高速ハンドオーバ手法」 <br />
「3D-レーザー空中表示システム」 <br />
「シリコン量子コンピュータ」 <br />
「生体高分子（核酸、タンパク、糖鎖）を切断・分解する有機光触媒」 <br />
「超撥水コーティング」 <br />
「フレキシブルアクチュエータ」 <br />
<br />
<br />
まったく、現代は近未来ですことよ。トリデオ、量子コンピュータ、動物の動きの再現も、夢ではなさそうだと思えてしまう。 <br />
 <br />
<br />
**<br />
<br />
ところで最近は自炊好調につき、体調も良好。<br />
ペペロンチーノ作りにせいが出ます。<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=48</comments>
 <pubDate>Sat, 26 Nov 2005 07:49:01 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[宗教研究活動──経営学的アプローチ]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=47</link>
<description><![CDATA[１．組織経営の社会学的理論について<br />
２．宗教の組織経営の特徴<br />
３．日本の新興宗教の組織運営の特徴を調べる（天理教、創価学会）<br />
４．まとめ<br />
<br />
目的は、「宗教研究を、思想面からではなく、“ある共通の目的を達成するための組織的行動体として観察したとき、その諸行動はどのように観察され、どのように評価されうるか（企業研究、集団行動研究など、宗教にとどまらない社会学的研究への貢献）<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=47</comments>
 <pubDate>Mon, 14 Nov 2005 11:32:29 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[情報と「気づき」]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=46</link>
<description><![CDATA[何をすべきだろう？　という話をする。<br />
今日、合氣道部の後輩と「気づくとは何か？」という議論（というか後半から講義か？）をしたので、そのまとめのようなものだ。<br />
<br />
<br />
その議論中、オートポイエーシス理論やアフォーダンス理論、シャノンの通信理論やパースの記号論など、その区別に関する前提理解に色々思うところはあったが、そのうち分かりやすいものだけを適用してたとえ話を沢山し、<br />
<br />
<br />
「いかに自分という情報体を、情報提供者の意図に沿うようテクニカルに変化させていくことが重要か」<br />
<br />
<br />
という趣旨の話をしたのであった。<br />
<br />
<br />
まあ、理屈めいた他人の解釈をすっぱぬいてカンタン言うと、次のようなものだ。<br />
<br />
つまり、練習における「質と量」に関する考え方の転換である。<br />
<br />
<br />
量をこなせば質が上がる、というわけではない。<br />
これは皆さん、経験的にご存知のことだろう。<br />
<br />
<br />
しかし、感性は天性それのみによるものでもない、ということは、以外に気づかれていない。<br />
大方の予想に反し、感性とは、じゅうぶん磨けるものであるし、実際磨かれるべきものである。<br />
感性はその多くを、実は後天的なものに拠っている。<br />
<br />
<br />
だから、私たちは、練習や勉強と言うものを考える際、いかにこの「感度」を上げていくか、ということを念頭においてしなければならない。<br />
<br />
<br />
簡潔に言えば、以上である。<br />
<br />
<br />
**<br />
<br />
<br />
しかしでは、なぜ上記のような話にはならず、ある分野における技量の差が、かも明確な才能の差のようによく取り沙汰されるのかといえば、それは、優劣を比較した二者が、その熟練する対象に関わる“確信の度合い”が、まるで異なるからだ。<br />
<br />
<br />
人はその確信という原因から生まれた他者の出力を、しばしば才能と取り違える。だが、それでは、彼ら才人が努力をするまでに至った９割９分を理解することはできない。<br />
<br />
<br />
彼らにとっての確信は、私たちが思っているよりもずっと切実であるし、しかもそこまでの経過は、私たちの予測を裏切るようにずっと自然体である。<br />
<br />
<br />
確信したものについて、人は人を超える才能を発揮することができる。確信は時に無知だが、その無知の自覚を乗り越えてなお持続する確信であれば、それは何らかの形で結実する可能性が非常に高い。<br />
<br />
<br />
私は合氣道を、とても巧い同期の黒帯と比較して、そこまで確信して稽古に打ち込んだという自信がまったくない。本当に凄い奴らは、毎日5時間も6時間も、また道場外でも、24時間、稽古に打ち込んでいる。私はこの2年半、そこまで合氣道と正面から向き合うことができなかった（今後はわからないが）。<br />
<br />
<br />
　だから、あまり巧い方ではない。黒帯になってはじめて、その重要性が、単に知ったというだけでなく、本当に胆（はら）に落ちた。<br />
<br />
<br />
**<br />
<br />
<br />
自分という生命情報体と、価値があるような曖昧な外の情報との“あいだ”をうまく取り結ぶこと。それが、最終的な学習の質を決定する。その価値を信頼する限りにおいて、また、その信頼したものが“ほんもの”である限りにおいて（その保証は誰もしてくれないが）、価値は信頼に応えてくれる。<br />
<br />
<br />
そういうものだと、自分は思う。その結果生まれるのが“氣づき”であり、つまりは、質だとか量とかではないのだ。<br />
<br />
<br />
それは、人がどうにか拵えて維持した不完全な各種の情報システムに、全身全霊でぶつかるまで何があるかわからない、一つの攻撃的なコミュニケーションなのである。<br />
<br />
<br />
それをもって、古（いにしえ）を稽（かんが）える。<br />
<br />
<br />
すなわち『稽古』という。<br />
<br />
<br />
現在の私が武道を情報学的に語ると、こういうことになる。<br />
稽古方法に悩む後輩には、それなり受けがよかったようである。<br />
<br />
<br />
しかし、相変わらず自分の話は長い。<br />
愛嬌で済むのは十代までだぞ、私よ。<br />
<br />
<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=46</comments>
 <pubDate>Thu, 10 Nov 2005 23:37:16 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[内科検診]]></title>
 <link>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=45</link>
<description><![CDATA[血液検査の結果は来週の水曜に出るそうで。<br />
<br />
……遅いよ。<br />
<br />
また倒れたらどうするんだ。<br />
<br />
あーもう。なんだかなあ。<br />
<br />
今日は久々に自分の体が生きていることを確認。<br />
稽古、それなりに動けているだけでもシアワセなのです。<br />]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://my.spinavi.net/Mune/?itemid=45</comments>
 <pubDate>Fri, 28 Oct 2005 23:07:40 +0900</pubDate>
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