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宮・ザ・world

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2006-12-04

武蔵と伝七の違い

同僚と『バガボンド』の話をした。ちょうど最近24巻が発売された面白い本である。「『スピリチュアリティー』の一側面を表現しようとしているのではないか」と思えるほど、人の「深い」部分に焦点を当てている作品であると思う。興味があれば読んでみてもらいたい作品のひとつである。
最近出た、24巻は武蔵と伝七郎が一騎打ちをする前日くらいから当日の相見えるまでを描いている巻である。
「この両者は、どちらとも武道にストイックに取り組み、剣客としても『一流』と認められている。でも『何か』が違う気がする。」そんな同僚との話から始まった。
つづく

2006-12-03

11月28日のこと

電車に乗っていた。電車は混んでいた。大きな荷物を持っていたので、自分が通路をふさいでしまうような状態であった。だから、人が通るときには、荷物を移動させて通りやすいように道をあけていた。
二人の人が自分の「あけた道」を通った。一人は、専門学校に通っている風(自分で勝手にそう感じただけだが)の若い男性。もう一人はスーツをパリっと着た30代くらいの男性。どちらも会釈をしてお礼をしてくれた。
30代くらいの方は会釈の仕方がとてもきれいであった。気持ちがいい。洗練された「型」の嫌味のない爽やかな会釈をしてくれた。:-D相手の感謝の気持ちが素直に伝わった。
それに比べて、専門学生風の男性の会釈は…。若いからしょうがないのだろうけど会釈の仕方がなってない!!:evil:…というわけではない。その逆で、会釈の仕方はぎこちなかったのだけれども、30代くらいの方の会釈とは比べものにならないほど、こちらが幸せな気持ちにさせてもらえる会釈だった。身体の芯からじんと温まるような会釈をしてくださった。「会釈ひとつでこれほどまでに人を幸せな気持ちにすることができるのだろうか」と思うほどの会釈だった。感動した。
感謝の気持ちを相手の身体の芯から感じさせらる会釈。こんな会釈ができるのは、魂がものすごくきれいなのだろう。そうふと感じた。魂には見た目の若さは関係ない。
「スピリチュアル」に生き、自分を磨く。大切なことだと分かってはいるが、いざ日常の生活に追われると忘れてしまいがちである。たぶん彼は本当に魂の磨かれた人なのだろう。いいオーラ・気を出しているのだろう。「自分もきちんと魂を磨かないと!」そう思わせていただける「会釈」であった。いつか自分もそんな会釈ができるようになりたい。なろう。

今週は忙しかった…

今週は忙しく、アップできなかった。アップしたかったエピソードをひとつづつ書いていこうと思う。
今もお酒の飲みすぎで下痢中・・・。飲むのが仕事とはいえ、飲みすぎたぁ。

2006-11-26

魂のコード

ジェイムズ・ヒルマンの『魂のコード』を1ヶ月前に読み終えた。
生まれながらに一人一人に使命がある。その使命を成就させるためには「守護天使・ダイモーン・人生」の呼び声に耳を傾けなさい。というような内容であった。めちゃくちゃ簡略化したが・・・。
この『魂のコード』の中で印象的であったのが、「natural born killer」はいるという主張である。今までの心理学では「生まれながらの殺人者」はいるとは明言してこなかったように思う。すべての人間は「輝かしい可能性」を持って生まれ、その可能性を十分に発揮するためには、どうすればいいかを追求するのが心理学のあるべき姿である、というような理念が基本にあったように思う。冷静に考えれば、人間の可能性すべてが「光・聖」というような主張は、バランスの欠いた主張であることは明白だ。この危険さに警鐘を鳴らしたという面はヒルマンの主張の有意義さを表す一つであると思われる。
ただ残念なことは、「生まれながらの殺人者」をどうやって社会に調和させていくかの主張が、説得力に欠けている。ではどうやって「生まれながらの殺人者」を見抜くのか?どうやって「生まれながらの殺人者」自身で自らをコントロールさせるのか?といった問いは言及されていない。
この疑問を、この1ヶ月考えてきたが皆目見当がつかない。もしこのコメントを見てもらえることができたなら、一緒に考えて欲しい。『魂のコード』を読んだ上で。

人生の決め方

みんなはどうやって生きる道を決めているの?
自分自身をどうやってプロデュースしているの?
自分は「腹の底」の感覚で決めている。この感覚に沿った生き方ができれば何でもできると思っている。周囲の人が、無謀だと評価するようなことでも。そのことを証明しなければならない。自分の人生を描いていくことで。
そのためにも今、自分自身が本当に何をしたいのかをクリアにしようと試みている。自分の思いと社会とをつなぐ具体的なものを。分かりそうで分からず。わくわく胸躍るようで、恐怖を感じ。日常にのまれることなく順応するために、クリアにしないと。
みんなはどうやって生きる道を決めているの?
自分自身をどうやってプロデュースしているの?

2006-11-24

関連

今しがた「ソウ」を見た。人間の心に訴えかけるために作られたのだろう。「生を大切にしろ。」と。もっといろいろと深いメッセージはあるようには思うが、それは個人個人の感性に任せる。が、なんで啓発的なメッセージをもっと「楽観的・ポジティブ」な視点から描かないのであろう。「悲観的・ネガティブ」な「陰」の部分からのメッセージのほうが、人々の心に訴えかけるものが大きいのであろうか?

続き

何でホラー映画は作られるのであろう?何の意味があるのだろう?
北野武監督が「愛の対称にあるのが暴力である。真実の愛、深い愛を描くためには、その対象である暴力も描かなければならない。振り子のように、本当の愛を描くにあたって、それに対応した過激な暴力を描くことになるだけなんだ。過激な暴力シーンは暴力を表現するために描いているのではない。愛を表現しようとする過程で描かれている副産物にすぎない。」といったようなことをおっしゃっていた。テレビのインタビューだったので、うろ覚えのところがあるので北野監督が意図していたこととはずれてしまうかもしれないが、このようなことを仰っていた。この言葉のように、愛を知るためにホラー映画は存在するのだろうか?
気持ちが悪くなり身体が震えて、「テキサスチェーンソー」を見れなかった自分には、あの映画を見て愛を知れるとは思わないのだが・・・。あるいは自分は「本当の愛」を知ることのできるキャパシティーがないから、「本当の愛」に対応した「暴力」を受け容れられないのであろうか・・・?
ホラー映画が好きな人は口をそろえてこう言う。「現実には絶対にありえない非現実的なことだから、ホラー映画が見れる。ただのエンターテイメントだ。」と。怖くて見れない自分は「現実感」をもってホラー映画を見てるから恐怖を感じるのであろうか?もしそうだとしたら自分の何かの拍子で、ホラー映画のようなグロテスクなことができてしまう可能性を持っているということなのであろうか?逆に、そんなグロテスクなことを「現実感」を持って見れるということは、その分「愛」についても深くを知りうる可能性を持っているということなのか?
と、色々考えさせられた。答えは出ぬままである。ただ、とにもかくにも「テキサスチェーンソー」という映画を作る意味は分からない。理解しがたい分野である。
私にとっては。

まず一つ目:mrgreen:

まず一つ目は理解しがたい話!
「テキサスチェーンソー」という映画を見た。ホラー映画だと知らず連いていった。だけど、15分から20分で出てきてしまった!!:[]グロテスクな描写に耐えられなかったのだ。男としてはなさけない話なのだが・・・。
続く

やっと現代人に:hahaha::**:

インターネットが初めて開通いたしました!
これで毎日1つずつ書きたいなぁ。いつまで続くか・・・。

2005-10-26

あぁ〜、あ

今日は
あめ

こころは…

明日は晴れ…?

うみのような
おおらかさ

静けさ漂う
あお

おなじみず

空もあおなのにねぇ〜


…冷たい
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